慶長6年(1601)肥後(熊本県)のお殿さま加藤清正によって建立されました。

 当時、鶴崎は肥後の飛び地になっており、交通の重要なところでした。
参勤交代の時など熊本城を出て、阿蘇を越え、鶴崎の港から出港し、
瀬戸内海を経て海路、大阪・江戸へ向かったのです。

 清正公は、日蓮宗のたいへんな信者でした。
自分の寝泊まりする鶴崎の地に「南無妙法蓮華経」のお題目をお唱えする道場がなくてはということで
京都本圀寺常林院日榮上人を招き、法心寺を建立されたのです。

 法心寺には清正着用のヨロイや遺品の数々が今でも残っています。
また、本堂の前には大分市指定の名木「いちょう」があり別名「逆さいちょう」といわれ、
本堂建立の際清正公が持っていた杖を地面に突き差したのものが、今の大木となり
枝が逆さに出ているのだという伝説があります。

 清正が慶長16年に病死して以来、追善供養の法要が行われるようになり
今では二十三夜祭といい夏の風物詩として親しまれています。